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84 学校で○○を禁止してくださいと要望を出す事について思うこと

2014/05/25 6:49 に ずきんはな が投稿   [ 2014/05/25 6:49 に更新しました ]
2014年03月22日掲載

なぜ、保護者が学校で禁止してほしいと思うのか、いろいろパターンがあると思う。

1)周囲の子供たちに伝えられない
2)自分の子に伝えているけど効果がない
3)直接伝えずに学校から伝わった方が良いと思っている

これらの場合、保護者はなんとかしたいと思っている、ということは確かだなあと思う。

要望を出さない保護者はどうだろう。

4)自分が伝えれば十分だと思っている

殆どの保護者がこれだと思う。地域差はあるかもしれない。

問題は以下の3つのパターン。

5)保護者自身が「なぜだめなのか」について理由がわからないので伝わらない
6)禁止する必要がないと思っている
7)関心がない

5だとすれば、これは理由を共有できるような取り組みがあれば解決しそうな気がする。
6については微妙かも。子供が自分でコントロールできていて、必要がない場合もある。ただ、6と7が重なった場合どうか。

この状態に陥るにはなんらかの理由があるのかも。保護者が多忙を極める場合もあるだろうし、どうしても身動きできない場合もあるだろうし。

そんな場合だと、禁止するよりは容認しているほうがお互い楽に生きられるという事情があるかもしれない。

そういう一部の禁止されない家庭の子供たち、はたしてどれくらいいるかな。

禁止されない子供たちを見た別の子供たちが、その不公平感を保護者に訴え、訴えられた保護者が強く禁止できずに受け入れてしまうことによって、周囲にもじわじわと容認が浸透し、ついにはきわめて高い子供たちへの普及率につながったってことかな。普及してしまったものはもう仕方がない。

この普及が進んだ上で、今の保護者としては「学校が」という大義名分を得ることで確かに子供に言いやすいかもしれない。

学校が要望を受け入れて方針を打ち出す理由はそれだけなのかな。

教育が義務化されて久しい今、学校教育を受けていない保護者はほとんどいない。
学校とは教育を受ける場であり、日本では常に教わるという一方通行の教育によって社会に出る。

「教わる」という姿勢だけを学んてきた今の保護者は、「教えられていない事」について無知かもしれない。つまり、子供に社会で生きるための自由と制限について、十分な論を持たない場合が多いのではないだろうか。

そして実は、個々の教員も同じ理由によって、保護者に対して学校で一律に禁止してほしいという要望を打ち消すだけの、家庭でやるように言えるだけの腑に落とせる論がないのではないだろうか。

そもそも、家庭の事情は千差万別あり、画一的な見方をすることなんてできない。
それを一律に禁止することは、実に楽な方策と言える。これは何かに似ている。
子供たちが言う「みんな持ってるから自分も欲しい」だ。保護者は「みんなが禁止だからあなたも禁止」と言うわけだ。同じことを言い合っているに等しい。

でも思いだしてみたい。

千差万別の事情があるからこそ、相手を思いやり、事情を察し、「お互い様」という素晴らしい言葉が生まれた国にいるのではないのかな。

多様性を容認し、互いに互いの時間を縛り付けることなく、時に譲り、時にお願いをすることによって、良好な人間関係を築く。

学校と保護者の間で、この良好な関係が築くことができないからこそ、一方的で暴力的な要望や、画一的で押し付けがましい方針に偏ってしまい、その理不尽な大人の振る舞いに子供たちは振り回される。

子供たちはその理不尽さに気が付いてると思う。

ちなみに、○○は何でもよくて、携帯でもよいし、スマホでもよい。LINEでも良いし、ゲーム機でも良い。もちろん、テレビでもいいと思う。ずっとこれらは繰り替えされている問題であることは単語をすり替えることによってよくわかる。

「他所には他所の事情がある。うちはうちの事情がある。」

それだけで十分だとは思うのだけれど、なかなかそう簡単には腑に落とせないんだろうな。

みなさんの家庭ではどんな風に子供に伝えていますか?