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95 公共の場でカメラを向けるということ

2014/08/20 18:17 に ずきんはな が投稿   [ 2014/08/20 18:17 に更新しました ]
2014年06月21日掲載



とても簡単に撮影できるようになりました。
カジュアルにそれを楽しむ時代になりましたが、反面、この新しい行動(と言っても、携帯電話にカメラがついて10年以上経ちました)にモラルや倫理観はまだまだ落ち着いてきていないように思います。

何処でも気軽に取れるようになったので、道路上で、電車の中で、学校で、たくさんの人が居る中でも撮るようになりました。撮ってもいいですか?なんて聞くこともなく、他に何が写り込んでも気にしない人も少なくありません。

写り込んでる方は、気が付かないし、気がついていてもそれはたいして問題にはならないかもしれません。
ああ、撮っているな、と思う程度。

GoogleEarth、GoogleStreetMapが発表されたとき、中に写り込んでいる様々な個人情報に当時恐れおののいた人も居ました。車のナンバー、玄関の表札、ラブホテルの前を歩く人々、事故現場。果ては国家機密までもが衛星写真に写り込んでいたという話題も出ていました。

その後、個人情報「らしき」ものについては、モザイクがかけられ、騒動は概ね落ち着きました。
話題になっていた時には、様々な人が問題視していたけれど、徐々に話題も収まり、GoogleStreetMapを利用するのは当たり前のようにもなりました。だって、「便利」だから。

今の子どもたちはすでに、モザイクがかけられた状態でGoogleStreetMapを見ています。モザイクがかけられた経緯はもちろん知らないでしょう。モザイクがかかってなかった事を知ったとしても、それが問題かどうかは判断できるでしょうか。
きっと問題点よりも、Googleにこれだけ写り込んでいるのだから、自分がとっているこの写真もそんなに問題がないだろう、という判断基準としての見本にすり替わっているかもしれません。

そんなこんなで、なんとはなしにどこでもカメラを向けるということはまるで普通であるかのようになりましたが、そこで顔認識技術が頭をよぎります。
Googleが撮影するものには、みんながプライバシーについて問題視できたけれど、個人個人が撮影するものにはあまり気にしません。たくさんの人がそこここで撮影した写真には、撮影した人も知らない人の顔が写っていたりします。でもそれが目に触れることはありません。どこかにひっそりと保管されています。インターネット上に。クラウドと今は言われていますね。

別のところでは、別の写真にタグ付けをし、たとえば「この人は○○さんですか?」というFacebookの問いかけに、「OK」を押しています。こういう、数多の人が少しずつ入力したデータが、すべて集まった時、どんな威力を発揮するのでしょう。

一つ一つの写真にはない情報が、少しずつ、すべて集まった時。
誰も、その撮影されたものを探しているわけではないけれど、写り込んだ別の誰かは探されているかもしれない。もっと別の誰かにタグ付けされていたとしたら。そのタグ付けによる結びつきで、画像検索し、候補写真を得る。そういう事が起こりうることも考えていかないといけない時代が来ると思います。

平穏無事な時には何も起こりません。でも、ほんのすこし波が立った時。衆人監視という神ではない人為的な注目によって、大きな炎上となってしまう。

プライバシーとは一体なんなのか、一度振り返って考えてみたいですね。Twitterのプロフィールにプリクラの顔と共に通った学校をすべて書いてしまう子供のプライバシー感、家族を守る大人の持つプライバシー感との感覚のズレ、その先にある、IT技術の可能性。

こちらに公の場所で撮影したときの肖像権について載せられています。


撮影対象が不特定多数、ということがはっきりするようであれば概ね問題はなさそうです。
若干の映り込みであれば、はっきり顔がわからないだろう、という思い込みがあるかもしれません。
でも、もしその解像度がとても高いものであったとしたら、どうでしょうか。

写りこんだ写真について、「社会生活上受忍限度を超えるか否か」という点についての考え方がこちらに載っていました。


WEB上に公開されるということには心理的な負担がある、とここでは書かれていますが、子どもたちはこの負担感はあまりないかもしれません。むしろ公開しても良い、という気持ちのほうが強い。それは、やはり自分が炎上の中心となるなんて思い至らないからでしょうね。危ない思いをしたことがない子がほとんどです。

良い使い方、悪い使い方、いろいろ使い方はあるのですが、良いとおもって使っている事が、悪い使い方に加担している、ということになり得る事を、大人のほうが可能性を予想し、先回りして伝えていかないといけないなと、最近の動画共有サイトを見て思っていました。