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51 有害有害って言うけど、何がそんなに有害なわけ?

2013/10/07 5:46 に ずきんはな が投稿   [ 2013/10/07 5:54 に更新しました ]
2013年10月06日掲載
【コラム:有害有害って言うけど、何がそんなに有害なわけ?】

これ、私自身も常日頃思っていますし、子供も思っていると思います。
お子さんから聞かれたことはないでしょうか。

つい先日、「はだしのゲン」が図書館から消えるかもしれない、という騒動がありました。
有害図書である、と考える方が少なからずいたからですね。
その事の是非は置いておきますが、世の中には、その図書が有害かどうかを誰かが判定しているようです。

「誰が」「なぜ」有害に指定したのか

は、どのようにして知ることができるのでしょう。
話題になればそういう事も表に出てくることもありますが、ほとんどの有害指定図書はひっそりと消えていきます。

私達はその判断を誰に委ねているのでしょうか。
多くはそれは地方自治体のようです。
調べてみると、作品名を公開している岡山県、茨城県の資料がありました。


他にも、作品名を公表している自治体はたくさんあるようです。

こんな風に有害指定対象作品を公開していることということは、知ろうと思えば情報は出てくるのかもしれません。
ただし、それは自分から能動的に知ろうとしなければならず、ないものをわざわざ探す方はあまりいないでしょう。
ないものは思いつかないですよね。撤去されてしまえば中身はもちろん見ることもできません。
みなさんは、どんなものが有害なの? と子供から聞かれてもはっきり答えられるでしょうか。

何かヒントが得られるかなと思ってwikipediaを見て見ました。
「有害図書」

ここで、有害図書と規制の歴史的な動きを見ることができます。
犯罪があると規制が強くなり、規制がつよくなりすぎると表現の自由が損なわれるという流れが見て取れます。

余談ですが、有名になった条例は東京都の「東京都青少年健全育成条例」ですが、これは表現の自由と規制の戦いでもありました。「非実在青少年」というキーワードで随分論議を呼びました。

どうやら、この「有害かどうか」という定義はとてつもなく難しい問題らしい、ということだけはよくわかります。

そう言えば昔は駅などには、「有害図書ポスト」が設置されていました。今でもあるかも?
このポストは、有害と感じた書籍を発見した人(もしくは所有者)が、その良心でもってポストに入れてくださっていたのでしょう。
つまり、「大衆の良心」に判断を委ねていたと言えます。人それぞれで有害の度合いは違ったかもしれませんが、割とうまく機能していたのではないでしょうか。
(ポストの中に興味をもって、中身を取ろうとするような子もいたでしょうけれど^^;)

当時の子供たちは、このポストを見て、有害なものから守ってくれている人がいるであろうことを漠然と理解していただろう、と想像します。

ポストに何かを入れている姿を見ることもあったでしょう。

そういう目に見えてわかりやすい、「大衆による民主的な規制」は、ネット上にはあまりありません。あったとしてもそのネット上のサービス内に限定されるものなので、包括的に期待できるものではありません。

(なので、保護者がそれぞれフィルタリングをしなければならない、という事ですね)

すると、子供は有害だと判定されているものを有害だと認識する機会がないかもしれません。その有害であるという判断を誰がしているのかなんてこともおそらく想像もつかないでしょう。

では”図書”ではなく”情報”、として調べなおしてみます。
「有害情報」

『総務省はインターネット上の違法・有害情報を「違法な情報」と「違法ではない情報」の2つに大きく分けた上で、「違法ではない情報」の中にいわゆる「有害情報」が存在するが、これについては人を自殺に誘引するような「公序良俗に反する情報」と、アダルト情報のような「青少年に有害な情報」の2つに分けている』

違法であればもう規制する理由は明確ですね。「有害情報」とは違法ではないもののようです。

でもこれも微妙で、例えば「こういうドラッグが売っていたら買ったらだめだよ!」と写真付きで紹介してあったとしたら?
これは有害情報でしょうか。有益情報でしょうか。それは文脈に大きく左右されそうです。

ネット上にあるものも始終こんな調子で、一見有益なように見えて、実はそうではなく違法の助長行為となるものもあったりします。違法、という点についてだけでなく、残虐かどうか、においても似たような事が言えると思います。
日本ではよくある魚の踊り食い、海外では残虐と思われる、という話は有名ですね。

実際のところ、

「見てしまうことによる、子供の心と振る舞いへの影響」

というのは有害有益問わず、何かしらあるわけで、良い方に向かえばそれは有益でしょうし、半社会的に向かえば有害と言えるわけです。
これをどうやって分別するか? 戦争映画をみて、かっこいいと思う子もいれば怖がる子もいる、そこで医者や看護婦になろうと使命を感じる子もいますよね。この千差万別の感覚の中でどうやって有害判定を下すのかというのは、実に悩ましい話です。これでは子供に説明するのも厄介なことです。

とはいえ、あまりの度ぎつさに精神的に参ってしまう程のコンテンツもありますから、規制されてしかるべきと思えるものも確かに有るのです。

なので、私の理解としては、

「誰が見てもあきらかに残虐だったり不快だったり、違法な事や人の権利を侵害するようなものもあるけど、曖昧なものもたくさんあって、自分は大丈夫と思っていても他の人はだめかもしれない。人によって感じ方が大きく異なるものが、規制されている」

と考えています。
「これがどうして有害になるの?」という問いへの一つの答えになるでしょうか。

もし、ご興味のある方は、

日本における検閲
表現の自主規制

などもご参考にどうぞ。