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56 私、ネットでは別人だから

2013/12/12 1:37 に ずきんはな が投稿   [ 2013/12/12 1:38 に更新しました ]
2013年10月26日掲載
【コラム:私、ネットでは別人だから】

周りにいらっしゃいませんか? ネット上だと全然リアルとは違うように振る舞う方々。
私の周りにもいます。

昔、パソコン通信の時代にもいました。そういう文化もあったなあと懐かしく思い出します。
女性でも男性として振舞ったり、男性でも女性として振舞ったり。(ネカマ、なんて言いましたね)
顔が見えないことを楽しんでいた時代です。見た目に左右されない、言葉だけでつながる自由な空間。

子供の友達にもいました。LINEでフレンドになった途端、矢継ぎ早にメッセージを送ってくる子。学校では全くしゃべってくれないとか。ネット弁慶なんて言いました。
大昔、掲示板で大げんかやらかした人にリアルにあうとものすごく朗らかな人だったとか、そういう話もよく聞きます。

ネット上ならためらいなく言えるセリフありますね。

面と向かっては言えないけど、電話なら言える。手紙なら書ける。そういう感覚にも似ている気がします。
ラブレターなんて最たるもので、手紙は頑張って書けたけど、さて、目の前でその文章、言うことができるのでしょうか。手紙を渡すことはできるでしょうか。

どうやら、ヒトって、実際に自分のいる空間に誰もいないと、心がすこし開放的になるようです。そういう感覚ってみんな同じように持ってるんじゃないかなあと思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。

コワモテのお兄さんが署名にネコちゃん書いてたりすると、あれー?こんな人だったの?って思いますよね。思う、ということは、見た目の印象によって性格まで連想している自分がいるのです。これは相手に対する人格への期待です。当のご本人は、このギャップをわざと与えて楽しんでいるんじゃないかなあと思います。期待に対するいたずら心でしょうね。

こうやっていつもと違う自分の自己表現を楽しむ文化は間違いなくネット上にも存在しています。
意図的な人格の多面化、ということをごく自然にやっているのでしょうか。

このような環境に応じて変えている自分の事をユングは「ペルソナ」と呼んでいます。外界に対する心の適応の事です。
逆に、真の自己である内界に対する心を「アニマ(アニムス)」と呼んでいます。ペルソナとアニマは表裏一体であり、お互いを補いあう、とされています。(アニマは女性像、アニムスは男性像を指します。)理性と感情、または、漫画によく出てくる天使と悪魔、と言い換えたほうが簡単でわかりやすいかもしれません。

良くも悪くも、たくさんの人の中で関わり合い影響しあってペルソナを形作るわけですが、これは外界から期待される役割に応じて形成しようとします。男性は男性らしく。女性は女性らしく。おうし座はおうし座らしく。A型はA型らしく。世の中はそういう人格に対する期待に満ちあふれています。それらに応じて、人を変え場所を変え、その場に応じたペルソナを作りあげていくのでしょう。

周りに誰もいない時の心の中ってどんなでしょう。ペルソナを形成する作業から開放されます。周囲に人がいないことによって自分の内面と向き合います。アニマの声を聞くわけです。

ユング(あるいは河合隼雄)はこのように言っています。

「ペルソナとアニマは相補的に働くものである。男性の場合であれば、そのペルソナは、いわゆる男らしいことが期待される。彼の外的態度は、力強く、論理的でなければならない。しかし、彼の内的な態度は、これと全く相補的であって、弱々しく、非論理的である。実際、我々は非常に男性的な強い男が、内的には著しい弱さを持っていることを知ることがよくある。」

「規則を守ること機械のような堅い兵卒に、「少しくらい、帰営が遅れてたって構わないじゃないの」とアニマはささやくかもしれない。あるいは、田舎で百姓をしている娘に対して、「お前は銃をとって、国防の第一線につかねばならない」とアニムスは命令する。これらの事は、彼らのペルソナからみれば不可能に思えるようなことであるが、その抗しがたい魅力や、圧倒的な力強さに押されて、それに従うこととなり、ある人は転落の一途をたどり、他のひとは国民的英雄にさえなるのである」

面白いですね、常に反作用があるということでしょうか。

さて、ネット上ではどうでしょう。

どうもネット上では、ペルソナを形成する際、アニマの声が大きく聞こえてしまうのではないかと思うことがあります。感情で動いてしまう、判断してしまうこと、私も身に覚えがあります。ネット上にはアニマ・アニムスの囁きがたくさんあるのかもしれません。その声を聞いて、ある人は正義を貫き、ある人はモラルを破壊する。そういう心の動きが顕著になっているのかもしれませんね。

ネットでは別人格、というのはリアルのペルソナとの相補関係によりバランスを取ろうとした結果がでてくるのでしょうか。リアルでは真面目な子がネットでは傍若無人であったりするのは、実はごく普通の事なのかもしれません。

また、家に戻ってからもずっとネットに触れる、ということは人によっては絶えずペルソナの形成に注力することになり、アニマの出番が少なくなることで平衡が保てなくなくなり、結果心が疲れてしまうので、巷で言われる「ソーシャル疲れ」を経験するのではないかと考えると、なんとなく腑に落ちますね。

心理学を専攻したわけではなく、趣味でユング関係の本をよく読んでいます。そういう観点からネットの事を考えてみたかったので、ほんのすこし心理学をかじった私が語って見ました。一部の抜粋だけですべてを語れるわけではないのですが、考えるきっかけとなれば良いなと思います。本当は、専門家の方に聞いてみたいところです。間違いがあればぜひご指摘ください。

参考文献:ユング心理学入門(河合隼雄著)/培風館 8章 アニマ・アニムス P197