85 草の根ネット?パソコン通信時代とネチケット

Post date: May 25, 2014 1:56:21 PM

いつもとちょっと趣向をかえて、昔話をひとつ。

インターネットがまだ普及していなかった頃、草の根ネットと呼ばれるホストシステムが全国津々浦々に存在していました。モデムと呼ばれる通信機械を使ってつなげます。

私がいつも通う(?)ところは近所の企業が主でした。電話代が安かったからですね。3分10円の時代です。ダイヤルアップでつなぎ、未読だけをダウンロードして落ち着いて書き込みを消化する、という日々を過ごしていました。草の根ホストだけで、近所に3、4箇所ありました。

もちろん複数人が同時につなげると話中になるんです。そうなると、つながるまで延々とリダイヤル。電話番号を間違えると悲惨です。モデムの向こうで、「もしもし?」と聞こえた日にはドキドキしたものです。

ホストシステムと電話回線があれば、自分で草の根ネットを開くことができました。

友人の自宅に電話でつなげて1:1で対戦ゲーム、なんてこともやりました。

たまたま、同時につないでいる人と、チャットできました。

そんなこんなで、niftyとPC-VANという大手のホスティングが出てきました。みんなこぞって大手に集まり始めます。掲示板にはシスオペと呼ばれる人が付き、人々のやりとりを時に誘導し、時に削除をしたりと、運営に携わりました。

掲示板では、どのような場所でもまるでケンカのようなやりとりが行われました。

書き込みは夜にするな、という言葉を見るようになりました。

送信するまえに、一晩寝かせてから書き込むように、なんてネチケットが出始めます。

当時から、夜は冷静になりにくく、ヒートアップしやすい、というのは共通認識になりました。

最初はROMってろ、なんてのもよく聞きました。

Read Only Member の意味です。

まずはその掲示板の雰囲気を読み、何を話し合っているか理解してから参加すると混乱が少ない、という配慮だったのでしょう。

たとえそうであったとしても、知識人たちは堂々とやりあっていました。草の根のホストの中で、みんな真剣にまちづくり、地域のことを語り合ったり、考え方を述べ合い、様々な意見が世の中にあるのだと気がつかされました。

その中にカータンがいました。カータンとその掲示板にいた人たちは、その後まちづくりの話が出るたびに、名前を見聞きしました。

そして、カータンこと嘉田知事は、滋賀県知事として活躍されています。

あの時熱く熱く語っていらっしゃった内容は、当時子供の私には分かりませんでしたが、真剣に論じ合う姿は実に強く印象に残りました。内容については多すぎて追うこともできずによくは覚えていません^^;

政策については様々なご意見もあると思いますし、政治的な話は出来ないのですけれども、まちのことを真剣に話し合っていた当時の想いは今も生きているのだろうと、当時をみていたからこそ信じられます。

(※私は政党に属しているわけではありません。個人の印象です。)

話は戻って、当時はネットで決済するようなことがなく、もっぱら趣味、ゲーム、そして議論の場だったんですね。この様な感じで、当時を見ていた私たちは、夜のネットでのやりとりは感情的になりやすくケンカが起こりやすいことを経験的に知っています。

いま、子供たちがネットで友達と話をしているのをみるにつけ、起こるべくして起こる事が当然起こっているのだと思わざるを得ません。そこにケンカを諫めてくれたり、なだめてくれるシスオペはいないのです。

ネチケットという言葉は古いのですけれど、子供たちに伝えるのに、もう一度ネット掲示板の原点を教えるのも良いのではないかなあと思っています。

少し難しい文章ですが、ご興味のある方はこちらをどうぞ。

http://www.cgh.ed.jp/netiquette/rfc1855j.txt

1995年にIETF(インターネット技術標準化推進団体)から発行されたRFC(Request For Comment)と呼ばれる文書です。

「◇よい経験則:送信する内容には慎重さを、受信する内容には寛大さを心がけましょう。たとえ挑発されても、激情的なメッセージ(これを「フレーム(flames;炎)」と呼びます)を送ってはいけません。一方、もしあなたが火あぶりにあって〔非難されて〕も、驚いてはいけませんし、フレーム・メッセージに対しては応答しないのが賢明なやり方です。」

このRFCが出た1995年からもうすぐ20年が経とうとしています。さて、その事に皆さんはどう感じられるでしょうか。