128 白か黒か、それとも

Post date: Aug 22, 2015 3:23:53 PM

白か黒か。

善か悪か。

0か1か。

決めると楽ですよね。

どちらかを選ぶだけなら。

でも、世の中は白と黒だけではなくてグレーな部分もとっても多いし、善か悪かなんて単純に割り切れないことばかりで、もちろんコンピュータの中身は0と1の世界なのかもしれないけれど、そこで表現される事象は想像の遙か彼方にあることばかりな感覚。

たとえば、子供の写真の話。

第三者が公開する場合と、保護者が公開する場合。

どちらが良くて、どちらがダメなのか。

もしかすると、どちらもダメなのか。

公開の範囲がフルオープンなのか、限定されているのか。

限定していればいいのか、それですらダメなのか。

もしかすると、別の方法がよいのか。

ダメという人は、なぜダメだと思っているのか。

イイという人は、なぜイイと思っているのか。

真逆の意見を持った人たちは、そこに混ざり合うことなく白であり黒のままなんだろうな。

そんな光景がありふれていることを私たちは知っている。

以前、何気なく発した言葉。

「最近はクラスの住所録がないので、急な連絡を取るときに結構大変なんですよね」

それに対して、返ってきた言葉。

「それって、幸せに生きているから不便だと思うんだよね」

そうだ、すべての人が、『クラスの友達や保護者に連絡をするため』に住所録を利用するわけではないんだと。

詐欺まがいの電話がクラス中にかかってきた記憶はないだろうか?

請求した覚えがないのに、成長に応じたダイレクトメールは来なかっただろうか?

本当は、知られたくない相手に住所が手渡りはしないだろうか?

自分の立場だけでない視点から物事を見ることの大切さ。

それから半年。

子供が新学年に上がって、『名前だけ掲載されたクラス名簿』を子供が持って帰ってきた。

今年は誰と同じクラスなのかな、仲のいい友達がいるといいよね。

そんな会話をした夜、Twitter上にある学校の『名前だけ掲載されたクラス名簿』の一部を見つけた。

そして深いため息。

やっていいこと、やってダメなこと。

なぜよくて、なぜダメなのか。

確かに、個別にあげられた事例を含むポリシーはとても分かりやすく、心に届く気がする。

でも、個別に挙げられた事例以外の事例が出てきた場合、その事例をどう扱うかを想像することができるのだろうか。

白か黒かが大切なのではなく、なぜ白であり、なぜ黒なのか、第三の選択はないのかと。

白か黒かを多方面から見て様々なことを考えることが大切なのではないのかと。

自分が遭遇したことのない世界を想像することは、とても難しい。

けれど、多くのことを見聞きし、意見をもらい、考え、触れることで、推測ができる世界を増やしていくことができるのであれば、子供たちにはそういう推測ができる人になって欲しいですね。