129 個人を特定されることに備える

Post date: Aug 22, 2015 3:25:54 PM

日本ではやはりまだまだプライバシー論について、機運が高まっていないように感じます。子どもたちのふるまいを見ているとそんな機運は来ないのではないかと思ってしまいます。

子どもたちだけでなく、大人もまた無邪気に写真を撮り続け、ネットに流し、そのことに充実感を見出すようになっています。日記なんて続かないもの、という のが昔の世間一般的な見方でしたが、SNSだと毎日続くし、誰かが見ているということが続ける原動力になるというのは、SNSを経験すれば、誰しも同意す るところではないでしょうか。

そんな感じで撮った過去の写真、タイムラインで見れば流れていってしまいますが、辿りたいと思えばいつでも辿れるものにもなっています。または、人の写真でも自分の端末に保存してしまえば、自分のところで見ることができます。

facebook などでは、写真を投稿すると顔の部分に、「○○さんをタグ付けしますか?」とガイドが出ることがあります。○○は知っている人の名前が出てくるのです。FBはその人が誰かを知っているようです。

Google もまた画像検索することによってそれが誰かを検索結果として候補を上げてくれます。

このような感じで、写真をとってアップロードすれば、それが誰なのか、どんな家族なのか、誰でもわかる未来がすぐそこに待っているかもしれません。

問題はそれがいいことなのか、悪いことなのかが、はっきり言える人が今はまだとても少なそうだと言うことです。

どこまでがプライバシーか、日常の振る舞いはプライバシーではないのか、見て欲しい人、見てほしくない人によって変わってしまいます。まるでセクハラ談義のようですね。

バカッターが流行った時のように、ダメなことをして、個人特定され、炎上してしまう、というのは極端な例でしょうけれど、ダメなことをしてもいないしするつもりもないから、写真はアップしてもよい、そんな風に考えるのは大丈夫でしょうか。

ウェブ広告に付きまとわれる未来、たまに映画でそういうシーンを見かけますが、広告システムはあなたの顔を撮影し、誰かを特定するでしょう。あなたの過去 を掘り起こし、趣味嗜好を分析し、訪れたことのないレジャー施設の広告があなたのスマホに表示されるかもしれない。ああ、そう言えば言ったこと無い場所だ し行きたいな、そう何気に思うかも。

これが旅行なら問題ないかもしれませんが、あなたが恋人と別れたい、と思っている時にでる広告、どんな広告が出てくるのでしょう。

今から、日々どんな情報をネットに流し、どんな情報を流さないか、取捨選択しなければならない未来、もう来ているような気がするのです。