2 コラム‎ > ‎vol.03 201310~12‎ > ‎

64 秋葉原通り魔殺傷事件に見るデジタル機器

2013/12/13 15:36 に ずきんはな が投稿   [ 2013/12/13 15:37 に更新しました ]
2013年11月23日掲載
【コラム:秋葉原通り魔殺傷事件に見るデジタル機器】

皆さんの記憶にも強く焼き付いていることと思います。
秋葉原で起こった壮絶な痛々しい事件。詳細はwikipediaにも詳しく載せられています。


加害者についてはメディアで何度も取り上げられ、たくさんのコメンテータの意見も出ていました。
でもあまり、焦点を当てられない問題がこの事件には残っています。
この時に強く印象付けられたのが「被害者が撮影される」という2次被害でした。

被害者を撮影する幾人もの一般市民。
この時、今まさに斬りつけられた人々を写真にとった人たち、その写真を一体どうしようと考えていたのか、思いを馳せることがよくあります。

もしかするとメディアに売ろうとした人もいるかもしれない。
思わず証拠保全をしようとした人もいるかもしれない。

戦場カメラマンでもなく、新聞記者でもない、ただ傍にいた市民が、立て続けに救護する人される人を撮り続けていた様子を皆さんもご覧になっていたと思います。

そういえば曽根崎警察前で起こったひき逃げ事件。遺体を撮影した人がネット上に投稿していたこともありました。

思い出されるのは阪神大震災のメディアの無神経な取材。随分バッシングを受けていた問題でした。家屋が潰れて出られなくなった人を助けている真っ最中の人に取材をしようとして、「帰れ」と怒鳴られた記者の話は地元のほうでもよく聞きました。

誰もがメディアの作り手となれてしまうこの時代に、目の前で起こった災害や事件を撮影してしまう行為。この是非については様々な意見をお持ちの方いらっしゃると思います。

東日本大震災でも多数の映像が残っています。でもこの大きな災害にいたっては、撮影についての是非はどちらかといえば、これだけの災害の記録が残せたことは災害研究にとっては非常に有益であったというのが大方の感想だったのではないでしょうか。

こういう時代ですから、もしかするとデジタルネイティブと呼ばれる子供たちは、何か変わったことがあったとき、真っ先に「撮影をして記録に残す」という衝動を抑えることが出来なくなっていくのではないか、という気がしています。

そろそろ、子供たちには

「どういう時に写真を撮ってはいけないか」

こういう話をしていかなくてはならないのかもしれません。
しかし、この判断は大人でもかなり難しいかもしれません。
命の危険がある時に悠長に写真を撮っていては逃げ遅れます。
他人の命の危険があるときにその人を撮影していては、救護の邪魔になります。

でも撮った写真が決定的な何かの証拠として取り上げられるかもしれません。

迷ったら撮っておくべきなのでしょうか。それとも。

様々な場所で、写真を取ろうとする子供たちを傍目に見つつ、なにもかもを写真に取ることによって我々は何を失っているのだろうか? と考えることがよくあります。

自分だって、運動会や文化祭では子供をビデオにとって記録に残しているわけですが、記録を取ることに終始して本当に子供に注目し応援しているのかと言われると、実に複雑です。
撮影禁止と決定した幼稚園の話も耳にします。

ひと呼吸して平穏無事な時間の中で、どういう時に撮るべきで、どういう時に撮るべきでないか。話してみる機会があるといいですね。